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東京高等裁判所 昭和29年(ネ)185号 判決

控訴人(附帯被控訴人) 西武鉄道株式会社

被控訴人(附帯控訴人) 小山昭文 外二名

主文

本件控訴及び附帯控訴はいずれもこれを棄却する。

控訴審における訴訟費用中控訴によつて生じた部分は控訴人の、附帯控訴によつて生じた部分は附帯控訴人(被控訴人)らの、各負担とする。

事実

控訴人(附帯被控訴人、以下控訴人という)代理人は原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す、被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とするとの判決並びに附帯控訴につき附帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人(附帯控訴人以下被控訴人という)ら代理人は控訴棄却の判決並びに附帯控訴につき原判決中被控訴人ら敗訴の部分を取り消す、控訴人はさらに被控訴人小山昭文に対し金十八万五百六十六円、被控訴人小山正志に対し金五万一千五百三十七円、被控訴人小山勝に対し金五万円及び各これに対する昭和二十七年三月三十一日から支払ずみまで年五分の金員を支払うべし、附帯控訴の費用は控訴人の負担とするとの判決及びこの判決に対する仮執行の宣言を求めた。

〈立証省略〉

理由

被控訴人小山昭文が被控訴人小山正志(父)、同勝(母)の長男であり、昭和二十六年十月二十七日当時東京都新宿区立落合第四小学校第一学年に在学中であつたこと、控訴人が高田馬場本川越間で電車による旅客貨物の運送を営む会社であること、被控訴人昭文が右十月二十七日午後零時三十二、三分ごろ、控訴人経営路線である高田馬場、下落合両駅間の軌道上にある東京都新宿区下落合二丁目九〇三番地先所在第七号踏切を横断しようとしたとき、控訴人の被用者である訴外渡辺茂の運転する高田馬場行上り電車の前部左側に接触して負傷したことは当事者間に争ない。

被控訴人らは、元来専用軌道による交通事業の経営者はその軌道に踏切を設置する以上、そこに通行者の安全をはかるために必要な保安設備を設置すべき義務があるが、本件踏切にはなんらの保安設備がなく、その結果前記のような本件事故の発生をみたのであるから、右は控訴人の義務の懈怠という過失にもとずくものであると主張する。

よつて按ずるに本件踏切に遮断機、警報機等の保安設備のないことは当事者間に争なく、控訴人が専用軌道による交通事業の経営者として「交通ひんぱんにして展望不良なる踏切道には門扉その他の相当の保安設備を設置すべき」義務を負うことは、地方鉄道建設規程第三十一条第三項の規定によつて明らかであるから、進んで本件踏切が右にいう「交通ひんぱんにして展望不良なる踏切道」というにあたるかどうかについて検討する。

原審及び当審における証人松浦松太郎の証言(同証言の引用する交通量調査表と題する書面は後に提出する乙第五号証として示されながら-当審に提出された乙第五号証は別物である-ついに提出されなかつたが、記録五四七丁に編綴の写によつてその内容を知ることができる)に本件口頭弁論の全趣旨(とくに原審昭和二十八年七月七日の口頭弁論において陳述した同年七日六日附控訴人の準備書面)をあわせると、本件踏切における道路交通量は昭和二十六年九月四日の調査によれば同日の歩行者二三四人、自転車及びリヤカー一一九台、昭和二十七年二月三日の調査によれば同日の歩行者三九三人、自転車及びリヤカー一四二台、自動車二三台、昭和二十七年三月二十五日前後の調査によれば同日の歩行者五〇四人、(内訳児童二〇〇人、大人三〇四人)、自転車一七七台、小型自動車二五台、普通自動車一四台で、自動車一台を歩行者七人、自転車及びリヤカー一台を同二人の割合で換算すると昭和二十六年九月四日には五九三人、昭和二十七年二月三日には九八〇人、同年三月二十五日前後の一日には一一三一人(これを後にみるような昭和二十九年四月二十七日附鉄道監督局長通達における換算率で換算すれば、それぞれ四一二、五人、六四〇人、一一六〇、五人となる)であつたことを認めることができるから、本件事故発生当時の交通量は一日一〇〇〇人未満であつたものと推認するのが相当である。また成立に争ない乙第一号証(列車運行図表)の記載及び当審における証人岩崎茂の証言によれば本件踏切における当時の平日の列車運行回数は四一二であつたことを認めることができる。

次に成立に争ない乙第五号証の記載と原審及び当審における検証の結果とをあわせれば、本件踏切は控訴人経営路線の高田馬場駅とこれにつづく下落合駅とを結びほぼ東西に走る軌道上下落合駅寄りにあり、附近一帯はおおむね住宅工場地帯であつて、踏切の西方約五十米あたりから下落合駅方面にかけて軌道は南方に中心をおく半経約四百米のゆるい曲線をなし、踏切の南側には道路をはさんで工場その他の建物が建ち、北側には道路の西側軌道敷地の外側約三米のところに笹間恒夫宅の黒板塀が、その北側二米のところには同人宅家屋(木造平家)が建つており、さらに板塀と軌道との間には鉄柱があり(もつとも原審証人伊藤一郎の証言によれば右の板塀は事故発生当時存在せず、家屋だけがあつたことが明らかであるが、この点を考慮しても、後記認定には影響がない)、踏切そのものは西方軌道上約二百米より展望し得るが、道路より踏切にかかる踏切外側の関係においては、全体として電車から通行人の見とおしも、通行人から電車の見とおしもかなり困難で、少くとも下落合方面からする上り電車からこの踏切を北方より南方へわたる通行人の発見は、通行人が笹間宅より一歩踏切に近づいたときにようやくこれをよくし得るところで、その距離は踏切より五十米を越えないものであることが認められる。

ところで成立に争ない乙第四号証の記載に原審及び当審における証人松浦松太郎、同岩崎茂、当審における証人安藤栄の各証言をあわせれば、本件事故発生の当時たる昭和二十六年十月ごろにおいては地方鉄道に関する踏切道における保安設備の設置基準については、前記地方鉄道建設規程のほか、これを列車回数、道路交通量及び展望の良否との関係において具体化したものはなく、おうむね国有鉄道の基準によつていたところ、国鉄では踏切道における交通量換算一日四〇〇〇人(当時の国鉄の換算率は大型自動車一台を歩行者三〇人小型自動車一台を同七人としていたが本件に関する限り前段認定の換算交通量に影響ないこと、その交通量の構成から明らかである)以上のところには第一種又は第二種の保安設備(第一種は二十四時間踏切警手をつけて門扉を開閉するもの、第二種は一定時間に限つてこれを行うもの)を設けることとし、これにみたないものは第三種の保安設備たる警報機等の設置で足りるとしていたが、その警報機についても交通量何人以上のものについてこれを要するとする最底の基準はなかつた、その後国鉄は昭和二十七年一月に踏切道設置基準を設け、列車回数一〇〇以上は展望五十米以下の場合交通量一日二五〇〇人以上四〇〇〇人までは警報機を設けるべきこととしており、本件事故当時東京陸運局管内(本件もそうである)地方鉄道においては一般に交通量三七〇〇人位のところ以上のものに警報機を設置するのが多かつたこと、その後昭和二十九年四月二十七日運輸省鉄道監督局長からの東京陸運局長宛鉄監第三八四号「地方鉄道及び専用鉄道の踏切道保安設備設置基準について」と題する通達は、昭和二十五年ないし二十七年の三年間における踏切事故の実績と昭和二十七年、二十八年における踏切道の実体調査の結果にもとずき、踏切道における事故発生の確率を算出し、これによつて踏切道の換算交通量、換算列車回数及び踏切道の見とおし距離との相関関係において一定の計数上にあたる踏切道には保安設備を要するものとし、これによれば列車回数四〇〇のものについては見とおし距離(外側軌道の中心より外側五米の道路中心線上において列車を見とおし得る最大距離)五十米以上のものは交通量二〇〇〇人以上、見とおし距離五十米未満のものは交通量一八〇〇人以上のものについてだけ保安設備を要するものとされていることが明らかである。

以上の次第によつて考えれば本件事故当時における本件踏切はその見とおし距離は良好のものとはいい得ないが、その交通量及び列車回数からみて、当時地方鉄道の援用していた国鉄の基準によつても、またその後に定められた地方鉄道の基準にてらしてさかのぼつて考えても、一般にまだ保安設備を要求せられる程度に達していなかつたものというべく、控訴人がこれを前記地方鉄道建設規程にいう「交通ひんぱんにして展望不良の踏切道」にあたらないとして保安設備をしなかつたことは、そのことの故に控訴人に義務違反があるものとするのは相当でなく、この点において控訴人に過失があつたと認めることはできない。

次に被控訴人らは本件事故が控訴人の被用者である訴外渡辺茂の過失によるものであると主張する。しかしこの点は当裁判所は原判決のこの部分の理由と同一の理由により、右渡辺茂に過失があつたものと認めることはできないものと判断するから、この点の原判決理由を引用する。

被控訴人らはさらに本件踏切に事故防止のために必要な保安設備が設置されていないことは、控訴人が占有所有する土地の工作物である電車軌道の設置又は保存にかしがあつた場合に該当し、控訴人は民法第七百十七条による責任を免れないと主張する。

軌道施設がそれ自体土地の工作物であることは論なく、列車運行のための専用軌道と人車交通の道路との交又点に設けられる踏切道なるものは、列車運行の確保と道路交通の安全との調整のために存するものであつて、かかる踏切道における軌道施設はそこにいわゆる保安設備のあると否とにかかわらず全体として土地の工作物たるものと解するのを相当とする。そしてかかる土地の工作物としての踏切道における軌道施設に保安設備を欠くことが、その工作物の設置又は保存のかしといい得るかどうかは、当該踏切道における状況により、それが前示のような踏切道設置の趣旨をみたすに足るものであるかどうかの見地からみなければならない。もし保安設備を欠くことによりその踏切道における列車運行の確保と道路交通の安全とを調整するに支障があり、とくに人車交通の安全が常におびやかされるものとすれば、人命尊重の上からかかる踏切は当然相当な保安設備をもつのでなければその本来もつ機能を果すものでなく、あるべき姿における踏切ということはできないのであつて、かかる踏切道における軌道施設はその設置保存にかしあるものとせざるを得ないのである。この場合当該踏切道に保安設備を設けることが一般の基準にてらして軌道運送業者に義務付けられないということ、すなわち保安設備を欠くことがその者の過失といい得ないということ、当該踏切にかしがあるということとは区別しなければならない。もちろんあるべきものがないということがかしであるとする以上、あるべしとすることの基準の如何によつては両者不可分となる場合の存することは否定し得ないが、民法第七百十七条にいう工作物のかしはそれが存することが所有者の過失に起因すると否とは問うところでないのであるから、一般的にそれがないことがその者の過失でないとしても、それがないこと自体をかしであるとすることは少しも防げないものというべきである。

かかる見地に立つて本件をみるとき、先ず当時の一般の基準は本件程度の踏切道に保安設備を設置することを義務付けているものといい得ないこと前記のとおりである。しかし当時の一般基準というものがあくまでいちおうの基準にとどまり、場合によつてはこの基準により難いものがあることは前記乙第四号証の記載によつてもうかがい得るところである。しかもこの基準は列車運行の確保と道路交通の安全の調整のためとはいいながら、軌道運送事業の公的性格にかんがみその経営の維持を著しく困難ならしめない程度のものたるべきところにおかれているのであつて、その時の一般経済情勢、通行人の交通常識等の客観的資料とともに、設備に要する費用と経営者の財政状態という主観的要素も相当参酌せられていることは証拠上明らかであるから、それ自体相対的のものである。従つてこれはあくまでそれによる軌道経営者の義務の存否、従つて過失の有無を決する基準の一たるに止まり、これによつて当該踏切道は保安設備を設けないのがその本来あるべき姿であると解することはできないといわなければならない。殊に前記昭和二十九年の鉄道監督局長通達における計数の基礎は踏切事故から割出した確率であることから推して考えると、右基準(本件事故当時はそれ以上に寛大なものであつたことは明らかである)は踏切における危険と安全とを別つ平均的な線を示したのみであつて、当該具体的な本件踏切が事故に対して安全であることを決する以上にはなんら加えるものがないのである。

よつてさらに本件踏切における状況をみるに、それが全体として見とおしの悪いことは前記のとおりであり、電車の側において踏切に接近する人車を発見するのは五十米の距離を超えない地点であつて、現に本件において電車運転手渡辺が被害者たる被控訴人昭文を踏切板の外側三米の個所(この個所は前記鉄道監督局長通達における見とおし距離の基準となるべき軌道の中心より外側五米以内にあることは軌道の幅員が一米三七で板張は軌道内側に敷かれていることから明らかである)にあるのを発見したのは踏切の手前四十二米であつたことは原審証人渡辺茂の証言と前記検証の結果により明らかで、この地点における発見が発見すべき最も早い機会におけるそれであつたことは原判決理由の説明するとおりに認め得るところであるから(前段に引用した原判決理由をこの点においても引用する)、この地点において急停車の措置をとつても電車が停止するのは踏切を超える地点であつて、進行中の列車が常用制動により停車するのは速力のキロ数の相乗積を二〇で除したものを米であらわした距離の先であり、非常制動による場合はその〇・七ないし〇・八倍くらいであることは当審証人三坂佐吉の証言により認めるべき一の実験則であつて、本件区間の制限速力は時速五五キロないし五七キロであり、当時の速力四二キロとしても列車停止までになお六〇米余を要することは算数上明らかであるから、通行人がそのまま進出すれば急停車の措置を講じても接触は不可避の運命にあるものといわなければならない。また本件踏切における交通量については前記のとおりの報告があるがこれはたまたま特定の一、二の日時における調査の結果であることは自明であつて、その踏切道の常時交通量の算出はむしろ相当期間継続して調査するのでなければ十分でないのみでなく昭和二十七年三月二十五日前後ごろの調査においても通行人のうち児童の数は大人のそれの三分の二にのぼり、当審における証人加藤銀郎の証言及び被控訴人小山正志本人尋問の結果によれば附近には新宿区立落合第四小学校があり本件踏切を超えて通学する学童は三十名内外で、附近住民特に通学児童を有する父兄は学校当局と協力して昭和二十九年ごろ本件踏切及び隣接の第六号踏切に保安設備を設けるよう控訴人に陳情し、控訴人も最近六号踏切には警報機を設置したことを認めるべく、通学の性質上児童の通行が一日の一定時刻に集中すること、児童の注意力が一般の大人のそれに及ばないこと等を考慮すれば、本件踏切の通行は決して安全ではなく、附近住民にも当時から相当不安感があつたことを推認し得る。そして原審における証人笹間くに子の証言及び被控訴人小山正志本人尋問の結果によれば、本件事故以前にも中学生が一人はねとばされたという事故があつたことが認められ、本件踏切には戦前は警報機が設置されていたが、戦時中罹災したまま撤去されたことは弁論の全趣旨から明らかであるが、附近の復興は終戦直後より大いに面目をあらたにするものがあることは公知の事実である。

以上の諸事情を考え合わせると、本件踏切には少くとも警報機程度の保安設備をそなえるのでなければ踏切としての本来の機能をみたすものではなく、これあるによつてはじめてそのあるべき姿の踏切となるべきものというべく、かかる設備を欠くことは結局控訴人の所有する土地の工作物の設置にかしあるものというのを相当とする。そして本件事故の状況から考えればもし本件踏切にかような保安設備が設置されていたならば、被控訴人昭文が電車の進行に気付かず踏切を横断しようとして上り電車に接触するようなことはなかつたものと認めるのを相当とするから、被控訴人昭文の負傷は控訴人の占有所有する土地の工作物の設置にかしがあつたことによるものというべく、控訴人は民法第七百十七条により被控訴人らのこうむつた損害を賠償すべき責任があることは明らかである。

控訴人は本件程度の踏切道に保安設備を設置することを要求するのは期待不可能であるという。土地の工作物の設置又は保存のかしにもとずく所有者の責任はいわゆる無過失責任であり、違法性はかかるかしある工作物の占有所有自体に内在するものと考えるべきであるから、かかる場合に期待可能性の理論をもち出すことは、責任の問題としても違法性の問題としてもその当否は疑わしい。しかし仮りになんらかの意味でこれを考慮すべきものとしても、本件と同程度の踏切にすべて保安設備を要すというのではなく、事はあくまで本件具体的な場合における状況による本件踏切にのみ関するものであつて、当審証人宮内巖同松浦松太郎の各証言によれば当時警報機一台の設備費は金七・八十万円でその一ケ年の維持費は十数万円の程度であり、当時の控訴人の経理状況からみて決してその設置が期待不可能というべきほどのものでないことがうかがわれるから、この点の控訴人の主張は失当である。

以上のほか当裁判所は被控訴人らの各自こうむつた損害の内容及び程度、被控訴人昭文の過失とそれが参酌せられるべき程度、被控訴人正志及び勝の過失の認むべからざること等については、すべて原判決の理由と同一の理由により、原判決理由の示すとおりに認定判断するから、原判決の理由を引用する。

しからば控訴人は被控訴人らに対し各自原判決認容の限度において各金員を支払うべき義務があるがその余の義務はなく、被控訴人らの本訴請求は右の限度で正当として認容すべく、その余を理由のないものとして棄却すべく、これと同旨の原判決は相当であるから、本件控訴及び附帯控訴はいずれも理由のないものとしてこれを棄却すべきであり、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤江忠二郎 原宸 浅沼武)

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